●埼玉名刀展でおとずれた川越市立博物館を再訪しました。
現在は、幕末の埼玉剣術界を紹介する「北武蔵野剣術物語」展を開催中。
●「川越藩剣術師範となった神道無念流(しんどうむねんりゅう)の大川平兵衛(おおかわへいべい)を中心とする展覧会」と聞いていましたけれど、県内で隆盛した柳剛流(りゅうこうりゅう)や甲源一刀流(こうげんいっとうりゅう)なども等分のスペースでシッカリと解説していました。
非常に興味深かったです。
●ただし、一番目をひいたのは古い防具類でした。
ノドを守る「突き垂(つきだれ)」のない面や、ヒジまで覆うロングタイプの小手を実見したのははじめてです。
新陰流(しんかげりゅう)の半じゅばんのごとき薄っぺらい防具は、打たれたらいかにも痛そうなシロモノ。
が、デザインはちょっと小粋でした。
スネ当てまでセットになっており、にわかに欲しくなりました。
●さて、埼玉大学で教鞭をとった大保木輝雄(おおぼきてるお)氏の関連講演も、期待以上にオモシロかったです。
例えば、明治期に広まったスポーツの影響を受ける以前から、武術には娯楽的な役割……すなわち「遊び」の要素……があったというご指摘。
また、その試合は、第三者が勝ち負けを判ずる「審判制」よりも、当事者同士で勝敗をさとる「自己審判制」を重んじていたというお話などなど、話題は豊富で聞きあきませんでした。
ご自身も剣術に精進されているだけあって、資料一辺倒でないご講義に感服。
●ですが、もっとも驚かされたのは、わが書道の師である寺山旦中(てらやまたんちゅう)氏に師事されたというご経歴でした。
寺山先生は、私が出会った達人の一人。
直心影流(じきしんかげりゅう)をおさめた彼とめぐり合わなければ、古流剣術を志さなかったかも知れません。
●未成年の学生らに対して「酒ほどいいものはない」と、ことあれば語っていた寺山氏。
「ハラの力次第でカラダはいくらでも重くできる」といったアヤしい体術も、何度かご披露いただきました。
●なお、私が出会った達人は、ひとり残らず奇人変人です。
「私は暴れん坊」と語る大保木氏も、おそらくご同類。
「まともぶるな。太く生きなさい」とご指導くださった旧師の面影を、つかの間しのびました。