みっか坊主日記 弐(2)

手裏剣(しゅりけん)道場の師範がつづる突発的ダイアリー<続編>

刀鍛冶の自転車店

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明治維新の後、刀や鉄砲をつくっていた職人の多くは、農具製造などに仕事をうつしました。
多摩を拠点とした「乞田鍛冶(こったかじ)」の一派も、自転車の輸入販売や修理業に転身。
その乞田鍛冶にクローズアップした特別展が、パルテノン多摩歴史ミュージアムで開催中です。
拝観のついでに、関連講演会も聴講してきました。

乞田鍛冶は、天然理心流(てんねんりしんりゅう)の木刀にとり付ける鉄鍔(てつつば)や、農兵隊の鉢金(はちがね)を受注生産していたようです。
展示室には、明治期につくられた壮士向けの仕込み杖も展示されていました。

●関連講演は、自転車の世界史からスタート。
自転車の始祖は、馬代わりに発明された森林警備用車両で、ドイツ製だったとのこと。
この自転車にはペダルがなく、足でけり進む方式だったのですが、間もなくイギリスにおいて前輪車軸にペダルのついたタイプが誕生。
その後、チェーンとギアを搭載した今日とほぼ同様のモデルが確立します。

●ところで、当初のタイヤは、鉄ワクをはめた木製でした。
それ以降、ダンロップが空気入りのゴムタイヤを装備、ミシュランはチューブ入りゴムタイヤを考案するなどして、機能性はグングン向上しました。

●なお、最初のゴムタイヤは、ゴムのかたまりだったそうです。
この「ソリッドゴムタイヤ」はやや重いものの、パンクの心配がないという利点があります。
阪神淡路大震災東日本大震災の際は、ガレキが散乱した被災地で活躍したのだとか。

●さて、乞田鍛冶が神田錦町に開いた「濱田自転車店」は、アメリカ製品を販売しながら、屋内自転車練習場を開設し、大繁盛したみたいです。
また、まだもろかったフレーム接合部の修理などに腕をふるったという話でした。

乞田鍛冶は、将軍家に仕えていたという説もあり、自転車好きの徳川慶喜(よしのぶ)らを通じて、上流階級が集うサイクリングクラブも組織。
しかし、超高級品だった自転車はあっという間に普及して、価格も急落しました。
結局、濱田自転車店は10年ほどで廃業したらしい。

●刀鍛冶に興味があって参加したのですが、わが国の自転車史もなかなかオモシロかったです。
そして、刀や鉄砲に精通した職人らが手がけた自転車にあこがれました。
ノーパンクタイヤを装備すれば、おそらく無敵のサムライ・バイシクル。
う~ん、クールです。